死ぬとき

エッセイ

安倍元首相が亡くなりました。ご愁傷様です。

お昼のニュースをつけた時から、ずっとこのニュースでした。夕方の記者会見を見てたら「はい、他にございますか。」はい、次!はい、次!が、気になってしまったうつこ。これと、似た感覚があったぞ…父が亡くなった時の火葬場ででした。職員の方が、同じようにてきぱきと、次々に案内していて、それがまるで、もたもたしないで早く!と、言われてるかのように感じました。彼らも、今日の仕事は今日のうちに、定時までに焼いてしまわないといけないのでしょうが、遺族としては、う~ん…でした。息子も「あ!それ、思った。」と、言っていました。

父が亡くなってから、ああ、人は死ぬんだなぁと思うようになって、どんな気持ちで命を終えたんだろうと思ってしまうのです。そして、自分が死ぬ時はどんな気持ちなんだろうと、よく考えるようになりました。いやなことがあると、ああ!もう!思考を停止させてしまいたい。何も感じなくなりたいと思うこともしばしばで、こうやって私は死ぬんだろうか…私が死んでも、少しももったいなくなんかない、所詮、はかないんだよ!とか。それでもやっぱり、死は現実になると、恐怖で簡単には死ねないと、経験したこともあります。なので、亡くなる人はどんな気持ちだったのかなぁ…と、ことあるごとに考えてしまいます。死にたくないと思って死んでしまう人なんて、どんなに無念だったかとか。死んでしまえば何も感じないから、思うも何もないのかも知れないけれど、良い死に方って、少ないのかも知れないなぁ。ないのかも。

生まれた瞬間から、人生はカウントダウンがスタートしていて、だから時間を無駄に使ってはいけないよと、子供たちにはよく話すのですが、今のうつこが一番無駄に使っているかも知れません。自分のペースで、丁寧に生きていると思うところもありますが。そんな風にのろまなうつこですから、時にあの、はい、次!はい、次!が、気になってしまうのです。もう少し寄り添う対応ってないのかなぁ…と。けれど消防士の息子に「救助している時に、こんなになってかわいそうとか、ドキドキしたりしない?」と、聞いた時「制服着てない時なら思うかも知れないけど、着てる時は思わない。それよりも自分のやるべきことが先だから。」と言われて、おお~と思いました。確かに消防士が感傷に浸っていては、助けられる人も安心はできないですよね。結局、それぞれが、自分の仕事をしているだけってことなのかな。

それにしても、安倍元首相が撃たれた報道があった時から、快復を願うツィートが多かったことには、この世も捨てたもんでもないとも思いました。安倍ノマスクとか、政策批判も多かったけれど、みんなが生きて!と思っている。うつこも願っていました。日本中が残念に思ってることでしょう。ご家族の皆様のご心痛を思うと、胸が詰まります。ご冥福をお祈りいたします。

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